最愛の母とのお別れ(9月6日;お通夜)

最高気温度32度、最低気温18度日の出5時23分、日の入り18時4分
 9月5日は、21時に母を自宅に迎えました。
 山梨に母を引き取った3月9日から9月5日まで館長は、毎日1〜3回ほど母を訪問していた。唯一一日だけ、四国の叔父さんの葬儀に出席した時のみ、訪問することが出来なかった。
 昼食や夕食を食べに行ったり、観光地に行ったり、散歩に行ったりしても寝るときは、寂しく一人・・・・・。
 母は、どんなに館長とこの自宅で一緒に暮らしたかっただろうか?
 館長が帰った後は、一人で寂しく老人ホームで暮らしていたか推察できるので心が締め付けられる!
 7月にヘルペスで入院して苦しみ、メッキリ気持ちが弱くなったとき、一回だけ”克己と一緒に暮らしたい!”と本音でつぶやいたことがあります。
 その母の願いが叶ったのは、悲しいお別れの一晩だけでした・・・・。
 母の大好きなお寿司を買ってお供えする。
 
 昨晩は、あまりにも予期せぬ母の他界(くも膜下出血による)!悲しみと言うよりは、驚きと”母は、本当に幸な人生せだったのだろうか?””館長は、母の為に出来る限り最高のことをしてきたのだろうか?””母の死を防ぎモット長生きさせてあげれなかったのか?”と自問ばかりしていた。
 答えなど出るはずもない!一晩中、母のことを考えて寝苦しい夜でした。
 16時に納棺を行った。色の白い母は、今までで一番美しく感じられました。ありきたりの言葉ですが、本当に今にも起きてきそうなほど、安らかに眠っています。”克己さん、早くこの眠りから起こしてチョウダイ!”と言っているようでした。
 自宅から葬儀場に向かう途中、母が大好きであったいちご狩りハウスに立ち寄り、館長と母でまだ定植の終わっていない殺風景ないちご狩りハウスを見てきました。12月には、このいちご狩りハウスで、館長が栽培した9種類のイチゴを食べさせてあげる予定でした・・・・・・。
 写真は、3月9日に山梨に来て、これから館長と一緒に暮らせると、嬉しそうなな母でした。
 18時から兄弟三人の家族と孫、ひ孫だけのお通夜が催されました。祭壇の母の写真を見るたびに涙がひっきりなしに出てくる。
 他人のいない葬儀で、何の遠慮も我慢も必要なし!これが母が望んでいた、最後のお別れの密葬か?
 
 お焼香の台に飾ってあるお花の色が母の好みの色でないことを、娘の文が気がつく。早速お花屋さんに行き、母の好きな薄いピンク色と薄い紫の色の花に代えた。
 葬儀場の最後の晩の母とのお別れは、次男夫婦と館長の三人でした。最近はお線香を絶やさないように蚊取り線香のようにらせん状のお線香が置いてありました。一度火をつけるとこのお線香は一晩中もつそうです。
 館長は、一時間おきに起きてお線香を焚きました。

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