入院2日目と3日目の母の状況。
最高気温度30度、最低気温20度日の出4時35分、日の入り19時05分。
母は入院2日目を迎えた。
病院は安心と言うことと、間じかに迫った苗採りの準備や段取りの指示で、母を訪問したのは11時でした。
病院で見た光景は信じがたい母の姿でした。
おそらく、鼻から入れている管を抜こうとしたのでしょう、ナースステーションの前に、ションボリ車椅子に座り、両手は拘束されて点滴をしていました。
何よりも不安そうな母の顔。看護士さんは忙しく動いており、母に声をかける人もいない。認知症の母にとっては、辛い入院でした。
館長の顔をにらみつけ、何故モット早く来てくれなかったのかと訴える。
母は、館長の顔を見るなり”待っていたよ!”。気丈な母が”辛くて泣いたよ”。目から熱いものがこみ上げてくるのを我慢して、看護士さんの了解を得て母を個室に連れて行く。
そして拘束されている母の手を開放して、手袋をはずす。ホッとした母の顔はまだ疑心暗鬼である。まだなぜ病院に来たのか、なぜ鼻に管が入っていてこんな苦しみをしなければならないのか?
何度も説明するが、なかなか理解できないようである。母は、一日中、”早く帰ろう”の連発でした。
夕方には少し落ち着き、”家族もいるし、仕事で疲れているのだから早く、家に帰りなさい”と言うようになる。
館長も母に”お母さんが寝たら帰るよ”と言う。すかさず母は、”そんなことを言ったら寝られないよ!””ゴメン、ゴメンまだ時間が有るからここにいるよ”、母は絶対に帰らないでくれとは言わない女性なのである。
後ろ髪を引かれる思いで、帰ることにした。
お昼と夜の2回の点滴の時間には必ず付き添うようにしよう。家族が側で鼻から入っている管を抜かないように監視していれば、母の手を拘束しなくてすみます。
鼻から菅を入れていると、タンが出てくるらしいです(看護士さんも言っていました)、このタンもとってあげる事にしました。
病院は母の安全のために色々なことをしてくれています、また入院一日目だと、母の性格や認知症の程度などが分からないので、安全に関してはより慎重になるのでしょう。分かっていても、何とかならないかとう・・・・。
入院3日目。
母は少し落ち着いてきたようです。もう気丈な母に戻つたのか、諦めたのか”帰ろう”と言わなくなりました。
さらに、水を飲みたいのも我慢して、欲しいといわなくなりました。
鼻から入っている、菅も抜こうとしなくなったようなきがします。
しかし、”ここの看護士さんは荒っぽいので嫌いだ!”などと盛んに愚痴を言うようになつた。
少し左目が開きにくく見ずらいようです。首の傾きも真っ直ぐに戻りつつあります。
しかし、うつろな目で天井を見ていたり、幻想も見ているようです。先生が入院すると認知症が進行するかもしてないとおっしゃっていましたが、この事を言っていたのか?
夕方の点滴が終わるのを見届けて、帰りました。
この3日間はの館長は、母の苦しむ姿を見て目から熱いものがこみ上げ、心臓はかきむしられ、胃は両手で引っ掻き回されたようでした。
イチゴさんやお客様からの励ましのメールなどで、気を紛らわしております。励ましのメールありがとうございます。
母をこの苦しみから早く助け出すためには、胃ろうの手術をしてヘルペスを完治させることが必要だと感じている。胃ろうについては、今回食べ物が喉から食べれるようになっても、いずれは喉を通らなくなる時期が来ると推測される。胃ろうの手術も元気なときにしておかないと難しいと言われている。
これ以上、鼻から管で栄養を補給するのは母が可哀そうです。
早く退院しないと、さらに認知症が進んでしまう。
今後の母のことについては、この病気の専門家に近い娘と母の幸せについて激論した。娘の言っていることの方が正しいのだが・・・・・。
兄弟とも相談しながら、母の意志を尊重しながら早急に判断したい。
写真は、母が山梨に来て、富士山の次に感動した桜のお花見です。